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創価学会とハイテク兵器の繋がり(5)

さて、「悪魔の機械」が掲載された1976年当時、創価学会は何をやっていたのであろうか。以下、その前後を中心に簡潔にさらってみたい。

先頭、日付け表記は創価学園 東京キャンパスへの海外来賓者を表す。



1960年     ・池田氏、創価学会第三代会長に就任

1962年     ・東洋学術研究所が発足〔現 東洋哲学研究所〕
          ・会員世帯数が300万人(11月) 
      
1965年     ・機関紙「聖教新聞」が日刊化  

1967年     ・学校法人 創価学園を創立

1968年     ・創価中学校・高等学校が開校
          ・池田氏、第11回学生部総会にて日中国交正常化への提言

1970年     ・会員世帯数が750万人(2月)
          ・7/7 グロス教授〔アメリカ、ミシガン州立大学〕
          ・10/17 クーデンホーフ・カレルギー伯爵
                   〔オーストリア、EU創設の提案者〕

1971年     ・創価大学が開学(経済・法・文学部)

1972年     ・10/4 イタリアンダ教授〔?〕

1973年     ・創価女子中学校・高等学校が開校
「EMR・M・M」          〔現 関西創価中学校・高等学校〕 
発明(アメリカ)

1974年     ・池田氏、中国を初訪問(5/29)
           ・池田氏、ソ連を初訪問(9/8)   
          ・11/3 ホフロフ総長〔ソ連、モスクワ大学〕
          ・11/12 べセル教授〔アメリカ、グレスランド大学〕
          ・12/1 マルチニ氏〔ソ連、ウクライナ教育長〕

1975年     ・SGI創立 池田氏、SGI会長に就任(1/26)
          ・創価大学大学院を開学(経済学・法学・文学研究科)
           ・モスクワ大学より名誉博士号授与(5/27)
          ・1/9 ストリジャック教授
             〔ソ連、モスクワ大学(附属)アジア・アフリカ諸国大学〕
          ・7/13 トルブーヒン少年少女合唱団〔ブルガリア〕

1976年
     ・創価大学に学部増設(経営・教育学部、通信教育部)
「悪魔の機械」
 ・創価大学に別科開設(日本語研修課程)
掲載(4月)
    ・札幌創価幼稚園を開園
          ・7/14 チェコ少年少女合唱団〔チェコ〕

1977年     ・創価大学大学院に博士課程を開設

1978年     ・東京創価小学校が開校
          ・6/27 グロス教授〔アメリカ、ミシガン州立大学〕

1979年     ・池田氏、創価学会名誉会長に就任
          ・1/19 ウイルソン教授〔イギリス〕
          ・3/9 バルマ教授〔インド、ネルー大学〕
          ・4/15 モルガー・オケール氏
              〔インド、インディアンエクスプレス社編集総局長〕
          ・7/1 ラダ・クリシュナ氏
              〔インド、世界詩歌協会会長・ガンジー記念館長〕
          ・10/31 ソフィスキー氏一行〔ソ連、ソ連高等教育省次官〕                                

投稿文では「学会の会員で精神病になる例は非常に多い」と記してある。精神病の原因となった理由の全部が全部、このマシンのせいでないとしても、1台や2台の所有ではあるまい。少なくとも何十台という台数が必要であろう。

いったい彼らはどこからこのマシンを入手したのであろうか?

先のアラン・ユー氏の告発により、このマシンはアメリカないしロシアの発明とわかった。
であるならば単純に考えて、学会はこれら2大国の双方あるいはどちらかと(親密な)関係があったはずである。

そこで年表を見てみると・・・・・あった!
1974年には宗教否定国のロシア側から宗教家である池田氏を招へいするという形で(不可解な)初訪露を果たし、またロシアから2名の要人を創価学園の海外来賓として招いている。
さらにその翌年には池田氏はモスクワ大学より日本人初の名誉博士号を授与されている。ロシアとの(太い)パイプはあったのである。

 

創価学会とハイテク兵器の繋がり(6)

モスクワ大学・・・正式にはMGU(エム・ゲー・ウー)と呼び、1755年に設立されたロシア最古にして最大、そして最難関の総合大学である。日本でいうところの東大にあたる。
そんな伝統と実績を誇る最高学府が、なぜにできたてホヤホヤの大学の創立者に名誉博士号を送らねばならないのか?


1974年、招へいされた池田氏は当時のモスクワ大学総長ホフロフ氏との対談の中で、「わが創価大学は、モスクワ大学と比べれば、孫のような存在です」と自ら発している通り、創価大学は1971年に開学し、授与された1975年にようやく第1期生を世に送り出したばかりなのである。


名誉博士号 ─── ある学会信者はブログのなかでこう語る。

 「名誉博士、名誉教授などの名誉学術称号は、高等教育機関が威信をかけて贈る「知性の宝冠」である。
モスクワ大学の規約には「大学は、優れた研究と才能を発揮したロシア国民、および外国人に対し、名誉称号を授与する」と記されている。
その授与は、いかにして決まるのか。
各学術機関が、推薦された人物について、評議会や教授会等で厳正な審議を重ねたうえで決議される。」


優れた研究・・・・・少なくとも私は、氏をもってして名誉博士号を授与されるほどの研究をしていたという話しを聞いたことがない。もし知っている方がいれば、その授与されるにたる研究内容を教えて頂きたい。

優れた才能・・・・・「人生と社会に価値を創造する知性と人格を兼ね備えた人材」を育成せんがために自ら創価学園を設立し幼稚園から大学に至る一貫教育の学校群を実現してきた、その経営的手腕を才能と呼ぶのなら才能であろう。理想を邁進せんとする並々ならぬ情熱と優れた経営的手腕があってこその実現である。誰もが成し得るシロモノでは到底ない。


しかしながら、やはり解せない。
唯物史観よろしく、宗教を「民衆のアヘン」として否定してきたバリバリのマルクス遵奉者た
ちと、新興宗教家とでは畑が違いすぎるのである。決して交わらぬレールのはずである。


以下は学会の公式HPからの抜粋である。

『ソ連初訪問の最終日、池田名誉会長は、コスイギン首相と会見した。「なぜ宗教指導者を」という警戒の声のなか、モスクワ大学が名誉会長を招へいすることを強く支持したのが首相だった。』


己の、自国の、イデオロギーまで曲げて池田氏と関係を深めたがっていたのは、他の誰でもない、コスイギン首相その人だったのである。


また、以下はある学会信者のブログ抜粋である。

「池田先生は、1974年9月8日、
創価大学の創立者として、、初めてソ連の大地を踏んだ。
出迎えたのは、招へい(しょうへい)元である
モスクワ大学のホフロフ総長。

この初訪ソは、モスクワ大学の招(まね)きに
よるものだったそうです。
池田先生が、モスクワの空港に到着すると、
真っ先に出迎えてくれたのが、
モスクワ大学のホフロフ総長だったそうです。
 ホフロフ総長は、著名な放射線物理学者で、
とても不思議な人格の魅力にあふれた方だった。
そして、池田先生と、ホフロフ総長は、
強い強い、友情のきずなを、結ぶ。」


時の首相が招へいを勧め、会談を試み、ロシアが世界に誇る名門大学総長は自らのお出迎えでご歓待・・・。


この名誉博士号は金で買ったなどという噂も流れてはいるが、単に金で買ったくらいで首相自らが、国の要人達がこれほどまでに動くのだろうか?単なる金などを超えた何かを強く感じざるを得ない。


この裏には悪魔の機械を巡る「密約」があったのではないだろうか。
即ち、製品化したばかりの「悪魔の機械」の試用のため、さらなる高性能化のため、日本人を実験材料にするといった機密事項があったのではと強く推察する。


これほどの理由ならば、自国のイデオロギーを捻じ曲げてまで新興宗教と関係を結んだ理由も考えられるのである。


では。

 
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