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日本についての、さまざまな情報を載せていきたいと思います。
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★古来より、文化や技術は「日本から朝鮮に」伝わった。  
   
  ★勾玉=材料となる翡翠が東アジアで日本の糸魚川でしか産出されない!  
  ★土器=日本最古の土器(1万6500年前)がほぼ『世界最古』の土器!  
  ★水田稲作=「①炭素測定法、②品種遺伝子」が日本が朝鮮に伝えた証拠!  
  ★前方後円墳=日本のほうが古い。韓国の前方後円墳の出土物は日本の土器類に酷似!  
   
  ★4世紀頃(391年、倭が海を越え襲来し百済や新羅を破って服属させた「広開土王碑」)  
   から7世紀(白村江の戦い)まで、朝鮮半島は九州などと同様に日本(倭国)の一部。  
  ・百済の「武寧王」も、その父の「東城王」も、日本の九州で生まれ朝鮮半島に渡った。  
  ・東城王(末多王)の百済王即位も日本(天皇)によって決められた。  
  ・武寧王の子「純陀太子」は日本に人質として来て、子孫もそのまま日本に住み着いた。  
  ★つまり「百済とは昔から日本(倭国)の一地方」だったため、百済王は天皇が決め、  
   日本生まれの「東城王(末多王)」や「武寧王」等が朝鮮半島に渡って即位していた。  
  ★インド発祥の仏教は中国を経て日本の一部である百済経由で日本本州伝来した。  
  ★その後の朝鮮半島では、新羅が支那(唐)に百済を滅ぼしてもらって李氏朝鮮時代に  
   なると、仏教も滅ぼそうとして弾圧しまくった。  
   
  ★朝鮮が日本より先進地域だったことは過去一度もない。




倭が391年以来、海を越えて襲来し、百済や新羅を破って服属させてしまった。 (広開土王碑)

新羅百済は倭を大国と崇めた (隋書81巻東夷倭国)

新羅の4代目国王の昔脱解は日本人 (三国史記 新羅本記)

百済の王が王子を人質として倭国に送る (三国史記 百済本紀)

新羅は倭国に奈勿王の子未斯欣王子を人質に送る。 (三国史記 新羅本紀)

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