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● 日本から朝鮮に伝えられた米文化
支那の稲作研究界ではむしろ水稲種は日本から朝鮮半島に伝播したという説が有力になっている。
この流れが加速したのは主に2つの理由がある。
一つは、遺伝子工学の分野からの研究の成果、
もう1つは支那政府機関が20年以上かけて満州で行った品種の調査だ。
この2つが決定打になり、朝鮮半島経由から、日本に米が伝来した可能性がなくなった。
順を追って説明すると、米には品種特性を決定づける遺伝子が7種類ある。
このうち古代から現代に至るまで日本で発見された米の遺伝子は「2つ」しかない。
日本に存在する遺伝子をNO.1とNO.2とする。
NO.1とNO.2の遺伝子は、それぞれ「温帯ジャポニカ」と「熱帯ジャポニカ」という品種の特有遺伝子だ。
次に稲作の発祥地である支那はもちろん、NO.1からNO.7まですべて揃っている。
朝鮮半島の米は、NO.2からNO.7までの6種類が揃っているが、NO.1だけは存在しない。
これは気温が低いと存在できない遺伝子のため、支那北部より北では存在できないためだ。
この辺の事情は「栽培稲に関する種生態学的研究」(松尾孝嶺著)に詳述されている。
往来が盛んになればなるほど、多くの種類の遺伝子を持つ米が入る確率が高まるが、
日本には「2種類しかない」のが、確認されていて、これが稲作開始の初期から広く分布していることから、米の伝来はごく限られた回数で特定の地域から伝来したと考えられる。
近年、「炭素14年代測定法」という、「最新の年代測定法の成果」で、
朝鮮半島の稲作より日本の方がかなり古いことが分かってきている。
日本の稲作開始は、「陸稲栽培で6700年」程度前まで、「水稲栽培で3200年」程度前まで遡ることが判明している。
これに対し朝鮮半島では水稲栽培は1500年程度前までしか遡れない点、
九州北部と栽培法が酷似していることや遺伝子学的に日本の古代米に満州から入った米の遺伝子が
交雑した米が多いことなどから、水稲は日本から朝鮮半島へ、陸稲は満州経由で朝鮮半島へ伝わったことが判明した。
支那政府の研究機関でも調査が進み、「間違いない」という結論が出ている。
また、支那南部の日本の米の起源と推定される地域は、「熱帯ジャポニカ」も「温帯ジャポニカ」も
同時に存在しているので、両者を1品種ずつ持ってきたと考えられる。
往来回数が多くなると、別遺伝子品種が紛れ込む可能性が高くなるので、
古代人が遺伝子選別技術を持っていない限りは、この地域だけから流入したと考えるしかない。
また朝鮮半島の米はNO.2の遺伝子が70%を占めるので、
米が朝鮮半島に導入された初期段階で、NO.2の遺伝子が多く伝わっていなければならない。
日本から2種類の遺伝子を持った米が朝鮮半島に渡ったものの、
NO.1の「温帯ジャポニカ種」は、朝鮮半島に根付かず、NO.2の遺伝子のみが広まり、
そこに満州から米が入ってきて、NO.2の遺伝子を持つ米と交雑したと考えると、朝鮮半島の米に遺伝子的な説明が付く。