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白装束集団で有名になった千乃裕子の霊界からのメッセージがエルアール出版でネット公開されていました。

テレビの危ないイメージと違って、なかなか優れたメッセージだと思います。



 

天上界メッセージ集

私たち天上の霊は、天上において、そしてあなた方の傍らに於いて、あなた方を指導し導くことしか出来ません。
私達は、あなた方の助けにはなるが、根本的な悟りは自分自身で悟らなければなりません。あなた方自身で深く考え、私たちの語る言葉から、真実をくみ取り、自分でさらに発酵させ自分のものへとしなければならないのです。
私たちの言葉をただ暗記し、ただ繰り返し覚えるといったことでは悟りは開けません。それから深い意味を探り、何が言いたいのか、私は何をしなければならないのだろうということを考えなければならないのです。
正法を学んで、あなた方一人ひとりに道が開けるでしょう。その中において、あなたがた自身の人生を歩んで、正法を広めていって欲しいのです。あなた方の生き方が正しいならば、あなた方は幾人かの人を救うことになるでしょう。
己の悟りと他人の救い、そしてまた、正法の流布と自分への悟り、或いはまた、愛と真実と、勇気と真理と、八正道と中道と、これらは、唯一つ一つを解決してゆくといったものではありません。一つ一つが一体となり、融合して全部が一緒に進んで悟らなければならないのです。融合された形で悟ってゆくのであって、一つ一つを悟ったというのではないのです。お解りでしょうか?


あなたがた人類は、もう進化し終わったのではありません。
肉体的な、生態学的な体の進化は遂げ終えましたが、あなた方には重要な、心の進化がまだ終わっていないのです。
古くから人類の文明は滅びては栄え、栄えては滅びしてきました。その度に一つずつ、人類は英知を学び文明を築き上げ、高度な物質文明を造り上げてきました。
しかしその反面、心の文明、つまりあなた方が良心と呼び、道徳と呼び、神と呼び、宗教と呼び、私たちがあなたがたに呈示してきたもの、それらの発達がなかったのです。
もし、あなた方がそれらのものをその時代に理解したならば、それらの宗教は今残っている筈はないでしょう。
よく動物愛護、自然環境保護団体等で、人類は自然から発生してきているのに、人間だけが自然破壊を行い、動物を殺戮しているから人間はダメだという意見を聞きます。
ですが私たちは少しそれに異を唱えなければならないのです。人間は今の状態がもし最高の進化の状態であるならば、なぜ私たち人類は、己の造り出した文明の弊害に目を背け、心を痛めなければならないのでしょう。
もしこれが最高の進化の形であるならば、私達は良心になんの呵責も感じないはずなのです。それを克服することが、今のあなた方に与えられた進化の条件なのです。末法を経てあなた方は新たなるユートピアの時代、つまり、人類の新たな進化の局面を経なければなりません。
今の行き詰まりは、生まれ変わるための行き詰まりでしかないのです。
末法思想になり地球が滅びるから人類はもうだめになるから、それだから神にすがって生きよう、そういう甘い心、そういう卑しい心では、天はそういう者には救いの手は差し伸べません。
飛ぶ鳥はなぜ美しいのか、海を泳ぐ魚はなぜ清々しく見えるのか、それをよく考えて下さい。
人間はどうあるのが一番人間らしいのか、それを個々で考えて欲しいのです。
これで私のお話を終わらせていただきます。有難うございました。

1980 4月 ミカエル


まず善我というのは、善なるものについて深く追求し、偽らざる善の心を披瀝することを理想とする生活態度をいいます。自然であるがままの気取らぬ自己を感じ取ることに始まり、偽らざる自己であり、また他と全面的に協調し調和する心に終わるということ。
すなわち善なる心という安定した曇のない良心に支えられ、何ら心を乱すものなく、流動的でいかなる人にもその心情を等しくあわせてゆくことができる水の流れにも似た心であり、少しも偏ることも、ゆがむこともない。真理を常に求めて真理を学ぶことに喜びを見出す心の余裕を持つことのできる精神のあり方なのです。正しきを喜び、自己の過ちを認め、悪びれず、素直に正していくことの出来る柔軟な心構えなのです。

大自然の法則、成り立ちというのもこれに似ていて、環境を形造る上に理想的なもののみが良しとされ、理想の条件に合わないものはどんどん形を変え姿を消してしまう。
調和というまろやかな流動する様相、そこにはバランスという大切な要素があります。
調和のとれた永続性を持つ自然環境は決してその中に余分な偏りすぎた要素を含みません。
このように全てにおいて調和と過度に過ぎぬこと。つまり中庸が自然と宇宙の法則であり、ひいてはその宇宙に含まれる有機物、無機物、そして生態の法則でなければならず、またそうすることを余儀なくされてきたのです。
これを広義における善といい、人間に当てはめると同じような自然の法則に心身を従わせることになります。 
己の節制を図り心のあり方を律すること。
それが大自然の中の一環である人類の為すべき務めでありまた責任でもあるのです。

ミカエル  
1979 2月 





天上界の思うことは、地上に生きるあなたの平和であり、天上界の喜ぶことは、苦しみ多き中にあるあなたの内の平和であり、天上界の憂うことは、あなたの住む小さな国の外の争いと、自らにもふりかかりつつある争いに対してなす術を誤って敗者の道を選択しようとしていることです。
本来、防衛と平和運動は同義でなければならず、力で押してくる者に智恵で勝とうとするのは、相手が戦う武器を持たぬ愚か者の場合にしか通用しません。
平和を願い求め、自由を享受しようというのならば、その根底には自国の独立と主権を命がけで守る、という気概がなくてはなりません。
自由も人権も、かつては同じように守るため得るために戦ったはずです。防衛が平和を守る運動であるのです。


守る、ということは襲い来る災難や何者かの侵略、攻撃に対して、何らかの対策を講じ、崩すものが来てもこたえぬ準備をすることを指すのです。
それなくして如何に災害と敵から身を守り、家族を守り、国を守り得るでしょうか。
武器を持つことは、殺人のみを意味しません。守りのための武器があるのです。
天上界の善霊と暗闇に住む悪霊の戦いも、悪霊は善きもの美しきものを滅ぼそうと動き、善霊はそれらを守るために武器をもって戦うのです。
悪霊の狙う善きもの美しきものとは地上に生けるあなたがたの心のうちにある善や自己犠牲、正義の観念なのです。
天の正義や善は純粋なるが故に暗闇の中でも貫くような光を発しますが、あなた方は生きているが故に、魂と同じく、善きものの心は磨かねば、磨き続けなければ光らなくなるのです。
良き魂を持った人でも心の醜い人間の仲におれば、やがてはそれに染まるのと同じなのです。
悪に対して無防備、無抵抗で、神の裁きを待つというのでは、いつまでも地上に神の国の平和は来ないでしょう。神が裁いて下さると安易に問題を考えてはならないのです。

ラグエル 1981 12月

















 




 

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