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1965年8月13日に、韓国国会がベトナム派兵に同意する[3]。1965年10月には、陸戦部隊である大韓民国陸軍陸軍首都師団(通称:猛虎部隊)1万数千を派兵して本格的に参戦、国内の最精鋭部隊を投入し、1966年9月3日には同陸軍第9師団(通称:白馬部隊)もベトナムに上陸する[4]

タイ王国フィリピンオーストラリアニュージーランドなどを含むSEATOの加盟国も、アメリカの要請によりベトナムへ各国の軍隊を派兵したが、韓国軍はSEATO派兵総数の約4倍の規模で、アメリカ以外の国としては最大の兵力を投入した。これは、米韓の協定により、派兵規模に応じた補助金と対米移民枠を得られたこと、軍事統制権をアメリカが持っており自身に権利が無かったこと、さらに韓国自体が、北朝鮮や中華人民共和国などの軍事的脅威を身近に感じていたため、共産主義勢力の伸張に対して強い危機感を持っていたことが理由である。

この派兵の際、各地で韓国軍による戦争犯罪があったとされ、韓国軍兵士は少なくともベトナム人住民9000人を虐殺[1]強姦事件なども起こした。また、30万人を超す犠牲者の数だったとも言われている[5]。 生存者の韓国軍の行為に関する証言で共通な点は、無差別機銃掃射や大量殺戮、女性に対する強姦殺害、家屋への放火などが挙げられている[6]。また韓国人とベトナム人女性との間に多数の韓越混血児が生まれたことが確認されている(「ライタイハン」)。1966年2月、ビンディン省タイビン村では韓国軍猛虎部隊が住民68名を集めて婦女子を含む65名を虐殺している[1]

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